東京都荒川区は法に基づき、国民健康保険料を、地方税として区の被保険者から徴収しています。
他方、保険者代表である荒川区長が被保険者として加入する共済組合の会費は、国保保険料に比べて、著しく低負担です。
国保保険料が保険者から租税徴収され、しかも両者が、国民皆保険制度に帰属する同一の公的給付制度の公課であることから、この負担格差は法の下の平等に違反するものです。


裁判の流れ    判決を受けて    絵本コーナー



このHPは、上記の趣旨でわたしがおこした行政訴訟の記録を公開することで、裁判で訴えた問題をいま一度、社会に問いかけようというものです。
すべての国民健康保険加入者の方、とりわけ国保保険料を滞納して差し押さえ強制徴収の処分を受けた方に、この裁判で争われたことを、ご自身の基本的人権に関わる問題として受けとめ、考えていただければと願います。
「社会保障と税の一体改革」が国政の重要課題として掲げられる今日、訴えの趣旨は、この視点からも避けることのできない憲法原則上の問題を提起していると思います。



 裁判の流れ


国民健康保険法の定めにより、保険料処分についての不服の訴えは、直ちに裁判所に提訴するのではなく、所管の国民健康保険審査会(審査会)に対し、審査請求書を提出することからから始めなければなりません。このような法的手続きのあり方を、審査前置主義というようです。審査会の裁決を経てはじめて、被保険者は裁判所に訴えをおこすことができるのです。東京の場合、審査請求の提出期限は、各年度の保険料の通知書(通例は6月)の送付後60日以内で、その請求書式は都庁から入手できます。(国保法第91、99、103条)

審査請求書を提出すると、審査会は保険者代表に反論を求め、請求者の再反論を経て、裁決が下されます。
裁決に不服があれば審査請求者は、6か月以内に限って裁判所に訴えを起こすことができます。
わたしの場合2009年の1月に裁決が下り、同年7月に東京地方裁判所に訴状を提出しました。

審査会への審査請求            荒川区の反論    原告の反論                 審査会の裁決   



                         荒川区答弁書    原告の反論(荒川区)    
東京地方裁判所に提訴                                             東京地方裁判所判決
                        東京都答弁書    原告の反論(東京都)        



                         荒川区答弁書  
東京高等裁判所に控訴                                             東京高等裁判所判決
                         東京都答弁書



最高裁判所に上訴
 ( 上告書  上告受理申立書 )                                      最高裁判所判決   


                                                   
(所得別国保最高保険料世帯数)
                                                          


判決を受けて 2
(人と人の関係)                




判決を受けて 3
(状況としての権力)




判決を受けて 4
(法律と政令1)    




判決を受けて 5(法律と政令2)  




判決を受けて 6(法律と政令3)           




判決を受けて 7
(法律と政令4)




判決を受けて 8(不作為の体系)      




判決を受けて 9
(“切り札”としての主権@)




判決を受けて 10(“切り札”としての主権A)



 判決を受けて 1    


 法の階層的規範性について 

原告は、国保と共済が、実体的に同一の公的医療保険給付制度であることを根拠として、国保保険料の租税的な賦課・徴収の内容(原処分)が、憲法14条に定める平等原則に違反していると訴えました。
他方、荒川区は答弁書で、国保と共済を「異なる趣旨・目的に基づいた制度であり、その制度(給付)内容も異なることから、両制度が同一などと評価できようはずもなく、両制度を比較することは相当でない」(荒川区答弁書p13)と反論しました。荒川区はこのように、給付制度事実の均一性、同一性を全面的に否認しているので、この主張は本訴訟におけるきわめて重要な、決定的争点です。もし制度事実の均一性という前提が成立しないならば、原告の訴えが根底から崩れるからです。しかしもしこの前提が、原告が訴えるような意味内容において成立するならば、この裁判の方向を決定づける重要な要因となります。

国保保険者(荒川区代表としての西川太一郎区長)と被保険者は、国保法という同一の法的平面上に、処分者と被処分者という異なる立場で並び立っています。同時にまた両者は、法源としての国民皆保険制度というより包括的、根本的な制度平面上においても、各々別様に異なる根拠法(国保法と共済法)を介して拘束されています。仮に前者を水平的法関係、後者を垂直的法関係と名付けると、国保保険者の被保険者への租税的公課処分を媒介することによって、この二つの法関係は規範的に連結されるのです。
国保保険者と被保険者の関係は、国保法という水平的法関係においてみる限りは、租税処分者と被処分者という権力執行的な関係です。しかし垂直関係に目を転じれば、両者が帰属するふたつの根拠法は、それらが付与する公的医療給付の諸権利において両者をそれぞれ平等、公平に取り扱っています。そして両者間の給付権利の平等性はたまたま偶然的に一致しているのではなく、法源としての国民皆保険制度によってもたらされたものです。国が国家の基本的な社会保障政策において国民を差別することは、憲法原則上あり得えないからです。国保保険者が、このような国家的法源による斉一的、一般的制度制定状況を前提として、このような制度状況のなかにおいて、国保保険料を被保険者から地方税法に準拠して租税徴収しているということ、このことは国保保険料の規範的な側面を考える際の極めて重要な制度事実です。
ところで租税論的に解釈すれば、医療給付権利とは、租税徴収されている国保保険料の対価物としての租税物件に他なりません。(租税物件という言葉に抵抗があれば、公課物件と言い換えてもよい。)
そうすると、租税物件としての医療給付諸権利が、法源によって国保保険者と被保険者に平等、公平に付与されているという法的状況下で、国保保険者による租税的な強制徴収が根拠法に基づき行われているという事実は、まさにこの租税処分それ自体によって、国保保険者を租税原則的に拘束すべきです。なぜならば国保保険者と被保険者は、法源の視点からみれば、ともに被保険者として租税公平の原則が適用されるためのすべての実体的要件を瑕疵なく満たしているからです。
保険者が租税的な処分を行っている以上、法的根拠なくこの保険者のみ租税原則が適用免除されるなどということは、民主主義的統制としての国政の統治原理からみても許されざることです。原告の訴訟趣旨を理解すれば、まず憲法の下に租税原則の平等な適用という大原則が確固として存在し、その上でひとつの制度問題としてこの保険料公課の公平性が、制度事実の均一性と原処分の租税的性格という視点から司法審理される、という基本的な法認識を避けて通ることはできないのです。
このような基本認識に立てば、垂直的法関係におけるふたつの根拠法の分離性は、その外面的な分離性を保持しつつも、同時に公課租税処分における双務的公平性という租税原則によって内面的に連結されているものではないか、というのが原告の主張です。 国保保険者と被保険者は帰属する根拠法を別にしつつも、この局面においては、平等の法源的権利を付与された、平等の制度被拘束的存在者として立ち現れるからです。したがって原処分における国保保険者と被保険者の関係も、単なる権力執行関係にとどまるものではなく、同時に処分の賦課実体側面においては、双務的公平性、平等性という規範関係を満たすべきものとして理解されるべきなのです。(訴状p5〜9) この保険料公課は、単なる保険数理的なものにとどまるものではなく、同時にその賦課の何十何円にいたるまで、法源及び平等原則としての憲法に拘束された規範的なものとして認識され、行政処分されるべきなのです。

以上が原処分の双務的公平性という訴訟趣旨の法的根拠です。もちろんこの双務関係は、各制度間における具体的な事実関係の対照、異同検証によって実体的に立証されねばなりません。
したがって問題は、国保保険者と被保険者に対するこれら国保、共済二つの制度拘束の実体的な内容、中身に、荒川区が主張するような差異や格差が存在するのかということになります。保険者と被保険者は国保法において、物理強制的な行政権力行使を介した法規範関係にあるのですから、、両者を包摂する、共通の制度事実が各々において差異なく実体的に確認し得るかという論点は、原処分の双務性, 再帰的規範性をめぐる第一義的な審理事項なのです。(地裁準備書面/荒川区への原告の反論p4〜5)

この制度事実の均一性が保険者、被保険者間で確認された場合、原処分の審判は、単にこの処分が条例や政令に従っているか、という審理水準においては、もはや裁定できなくなります。また保険者の行政権が制度執行上どこまで及ぶのか、という問題も優先的に考慮されるべきことではなくなります。
事実の均一性が検証された場合、国保保険者と被保険者は、法源に拘束される被保険者として同一の制度被拘束的存在者とみなされるわけですから、国保行政における処分者と被処分者という差異に干渉されることなく、両者に対しては憲法14条の適用適否がただちに審理考究されるべきであって、政令や条例がこれを阻むことはできません。憲法原則が、政令や条例、保険者の行政権に従うということはないからです。 原告は法律の専門家ではありませんが、法の適用及び、法審理の踏むべき理路は自由に選択できるものではなく、審理課題そのものが、審理者に要請するものであると確信します。法の適用は法の自由な適用であってはならず、その審理は、透徹した法の論理によって導かれねばならないのです。

では裁判所の判決はどのようなものであったでしょうか。正確には判決文にあたっていただくとして(地裁判決p15〜16)、その論旨を要約すれば、まず共済組合ついては、その掛金保険料の割合を変更するためには、組合の議決と主務大臣の認可を得て定款を変更する必要があり、他方、国保についていえば、荒川区は施行令の定めにない国保保険料の算定方法を採用することはできない。それゆえ荒川区長は、国保と共済の間で同一の公平な租税の取扱いを課す権限を有しない というものです。
このような説明は一見すると、審理者としての中立的な立場からの客観的分析のように見えますが果たしてそうででょうか。判決は二つの制度が法源を共有する同一の公的制度範疇に帰属するという事実を等閑視する一方、専ら公課料率制定の専決権の帰属問題に固執しています。これは裁判官が各法令の保険料公課専決権という局所的な制定状況のみに専心して、国保保険者と被保険者との租税原則による規範関係という最も基本的、実体的な法問題を放擲していること、言いかえれば垂直的法関係のみを分離単独的に取り上げ、水平的法関係における両者の双務的関係性を無視しているということに他なりません。
判決は二つの公課について、これらがはたして原告が主張するように、法源としての同一制度に帰属する相互拘束的な双務公課であるか、という審理の出発点に置いて検証すべき事実問題を放置したまま、これら公課の規範的関係性についての審理課題を、各制度の根拠法において、保険料率制定の処分決定権が、どこにどのように帰属しているかという、全く別の問題へとすげ替えました。しかしこれは非常におかしな話です。
各処分の背後に存在する、法源及び国家政策としての皆保険制度を顧みることなく、なぜ単純に行政処分決定権の効力範囲をもって、原処分の法的な正しさを断定できるのでしょうか。二つの公課に平等原則が適用されるべきか否かという問題は、公課制度の実体的な内容、中身を検証することから着手すべき問題であって、それらの公課をだれがどのように決定しているかということは、この視点においてはまったく二義的、従属的な問題です。

判決が原処分の背後にある制度事実をの共通性や公課負担の格差を一顧だにせず、これらの論点を素通りして、行政専決権的な問題領域に訴訟主題を封じ込めたことを考えると、裁判官がここで行政権力を、主権者である国民から負託された信任的な権力概念 権限(mandate)としてではなく、信任に拘束されない権力一般(power)としてとらえているのではないかとさえ推測したくなります。いわば行政庁の思うがままに決定し、 裁判によってさえ変更することのできぬ万能の権力です。もちろん裁判所によって、このような権力概念が行政権力の強制性として容認されるならば、主権者である国民にとって受け入れ難いことです。国民皆保険制度のように、立法府が包括的な法源から複数の個別法を制定しているような状況では、行政府がこれを裁量的に解釈、施行することによって、双務的であるべき公課や義務行為をいかようにも非双務的、非対称的に制定し、強制執行できるようになります。しかもそこでは、法が行政庁に負託した公課専決権がいわば不可侵の法的壁となって、行政のいかなる判断や裁量をも法的に保護するのです。無論そのような社会には社会的公正も社会正義もなく、国民の権利も十分保護されません。しかし原判決が潜在的に予告する社会とはそのような姿に他ならないということを、原判決がこのように出されたいま、わたしたちは確信を持って否定することができるでしょうか。

あるいは訴えの原点に立ち戻って次のようにも問えるでしょう。すなわち、裁判所が社会的公正とか社会的正義という価値にさほど関心を払わなかったことは受忍するとしても、実定法の論理のみによって、原告の訴えが法の理路を貫くことはどうしてもできなかったのであろうか と。
判決をとおして浮かび上がる思考の道筋は、裁判所の行政権力観念を明らかにします。原処分における行政府の適理性、法適合性の裁定水準をみることによって、裁判所が行政権と法律の関係をどのように認識しているかが浮かび上がり、わたしたちの前に提示されます。では原判決に見る行政権と法律の関係についての法的解釈は、法の適用として正しいものでしょうか。その解釈、適用が主権者として容認しうるものかどうかという問いは、憲法が司法府に付与する裁定権力でさえ、単にその権威のみによっては担い、支えきることのできぬ重大な問題です。であるがゆえに、原告は裁判の終審をもってこの問いを停止することはできないのです。

上に述べた視点から行政権力のありかたについて問う前に、まず次のことを確認したいと思います。
すなわち、三権分立という分権的な国家の統治システムのなかで、行政府の果たす役割について概括的にいわれることは、行政府は立法府による法律の制定を受けて法律の執行を行う国家機関である、ということです。ただし法律の執行は、その過程で行政府の考え、判断、裁量を付加し、ために一般的、抽象的な法律が行為処分として具現化されることを排除しません。法の執行におけるこの行政判断の側面は当然、司法審理の対象に含まれます。また行政庁が被執行者、被処分者である国民から提訴されて、行政処分の執行内容が法的に争われる際に、そこで争われる法律とは、必ずしも執行に直接的に関与する下位法律に限定されるものではありません。
法律は一般に上位法によって授権されることで、段階的に上位から下位へと制定されてゆきますが、下位法は上位法の授権の範囲を超えてはならず、この規定規範は法令のみならず行政処分における行政庁の判断、裁量にも適用されます。ある行政処分が憲法原則に従っているかどうかという違憲審査も、この授権の連鎖をさかのぼり、授権のあるべき規範内容に照らして審理されます。つまり、原処分→荒川区条例→政令→国保法→憲法とさかのぼるわけです。
それゆえこの溯上過程を裁判の争点、訴訟物の観点よりみたときに、授権すべき法律の内容とその規範的外延をどこに引くかという認識判断こそ、この行政裁判の審理を決する核心問題です。その法的規範外延は形式的に法の名で画されるのではなく、審理主題そのものが要請する、事実関係に照応した実体的法規範として客観的に設定されなければなりません。

国保保険料に直接関わる法律は、国保法の下位法となる政令や荒川区国保条令ですが、これらの条令およびこれらの解釈に基づく保険者の原処分(保険料の賦課・徴収)が国保法の授権の範囲内であるか否かという問題は、決して自明ではありません。なぜなら上位法である国保法は、原処分を地方税法に準拠する租税処分として規定していますが、これは国保法という包括的な法規範の内部に潜在的な双務性を帯びた別の法規範を含み持つということであり、したがって保険料処分が上位法の授権の範囲内であるかどうかは、片務的、処分自己完結的に決定しうることではないからです。双務性を帯びた保険料賦課規範が要請する処分要件を、実際の処分が満たしているかどうかは、訴状でも述べたように、まず租税要件の充足状況が保険者との間に満たされているか否かの検証を俟たなければ判明しないことです。
もし租税要件の充足が確認されれば、租税規範がいかなる政令や荒川区条例にも優越する上位法であることは明らかですから、保険料処分の合法性はもはや単に、同処分が政令や区条例に従っているかという水準のみでは判断できなくなるのです。保険料処分が政令や条令に定める法手続きを踏んでおり、表面的には適法な処分としての要件を備えているとしても、そのような局部的な適法性、法表面的適理性がでは、法のネットワークや法の階層構造における包括的適理性、さらには授権適理性の検証に耐えうるかといえば、それは別の問題です。保険料処分は単に政令や条例の細目的な規定を自己完結的に満たしているかということだけではなく、上位法による授権および法規範内の規範という視点から包括的、法深部的におこなわれなければなりません。

この法授権検証にあっては憲法99条を持ち出すまでもなく、法の規範階層性に違背した解釈創出は許されず、よってこれら法令間の授権関係が実体的かつ包括的に要請する規範拘束を裁判官が優先考慮しないことは、それ自体が憲法違反です。そして租税要件が原告と保険者との間で公平かつ相互参照的に満たされていることは、原告の準備書面が明らかにしたとおりです。したがって裁判所が根拠を明示してこれを否認しない以上は、法の要請する法の適用として授権すべき法令の規範的外延は、この保険料処分の双務性にまで及ばねばならないのです。
(憲法第99条 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」)

それでは原判決の拠り所である保険者の専決的行政権と、保険料の租税的双務性との関係はどうとらえるべきでしょうか。
国保保険料の料率策定における行政手続き的な規定側面と、料率策定の租税規範的規定側面はそれぞれ性質を異にする法規定事象です。国保制度における保険料策定の行政手続き的な側面は、国保法に定める専決権的規定によって定められ、拘束されるものですが、保険料策定の租税規範的な側面は単に国保法の規範水準のみならず、租税原則規範によって拘束されるものと考えるべきです。法令において公課料率の規定が、行政専決権にかかわる条例中に定められているからといって、この二つの側面を混同したり、同一視したりすべきではありません。
法令において、この租税原則規範をどこから読み取るかといえば、そのひとつはもちろん租税処分を命じた条令(国保法78,79,80条)ですが、いまひとつは皆保険制度の給付権利と義務にかかわる制度実体的な諸条令です。この部分は公課保険料の対象物としての租税物件とみなすことができます。これをふまえ、では料率策定における二つの側面の関係はどうとらえるべきでしょうか。

各根拠法における保険料率、共済料率策定の専決権にかかわる行政手続き的な規定と、各根拠法における皆保険制度の給付権利と義務にかかわる制度実体的な規定は、それぞれ分離した別個の規定ではあります。しかしながら給付権利と義務にかかわる制度諸規定は、租税処分の実体的内容をなす租税物件として、公課負担料率の負担の重みそのものの根拠となるだけではなく、、さらには租税原則(訴状p19)の具体的な制度発現物として、保険者自身の公課負担を租税原則的に制約するものです。国保保険者はこの保険料租税処分の課税物、租税処分物において租税三原則を、国保被保険者と相互充足的に実体的に共有しているからです。 つまり公課保険料制定についての手続き的な規定と、同じく租税処分にかかわる規定は別個のものではありますが、前者の規定は専決権規定によって当該行政府に片務的に負託されたものではなく、後者の諸規定によって反射的、再帰的に規範拘束され、その結果として双務処分的に負託されているものです。まさにこの双務的関係が、国保法の法律圏内における法的状況として、保険者荒川区長と被保険者原告の両者を法拘束しているのです。この公課の規範的側面は行政専決権規定に還元、吸収されうるものではなく、逆に専決権規定そのものが租税規範的規定および原則によって規範拘束されているからです。ここで保険者が被保険者として別の根拠法に関係づけられているということが、上位法規範である租税原則を希釈したり、例外適用を許すようなことがあってはならないのです。
国保法の法令内部に租税処分が規定されいるということは、決して法規範としての租税原則があたかも入れ子のように国保法の内部に包含されて、その規範拘束の及ぶべき実効範囲さえもが制約されるということを意味しません。そのような解釈は租税原則の徴収強制力のみを行政権力が方便として使用することを許すものであり、きわめて重大な憲法違反に通じるものだからです。以上の主張は原告が個人的に抱く社会政策論、あるいは“正義論”として言われるのではなく、あくまでも法実証主義の見地から法実証的に、客観的に言われ得ることである、ということを強調したいと思います。

立法者拘束説、すなわち法の立法者も法に従う義務を負うという原則において法の規範拘束性が了解されるならば、その延長上に行政者拘束説として、租税規範処分を課す保険者もこの処分を引き受ける義務を負うという原則が成立するのです。

租税規範原則と国保保険料の概念関係のイラスト図


一方に保険料の租税処分を定める国保法の規定があり、他方において法源を共有する制度事実の均一性が保険者と被保険者を平等に拘束しているということ、この二つの法的事実を根拠として原告は、原処分が双務性を欠き、平等原則に違反することを主張したのでした。
これに対し原判決が、公課料率の専決権的規定をもって原処分の片務性を承認したことは、司法府による行政権解釈としてどのように分析できるでしょうか。

まず上にも述べたように判決は、原告の訴訟主題を保険料公課制定にかかわる諸規定の専決的、専管的な制定状況という法制定局面に取り込むことで、被保険者の平等原則的な権利問題をこの保険者側の行政統治的な権限問題へと局面転換しました。そうして、専管的制定状況によって保護された各公課の専決権的規定をもって、原処分に適理性を与えたのです。重要なことは、判決が保険料の租税処分的な問題機制には切り込むことなく、保険料率策定の排他的、専管的制定状況それ自体のうちに、原処分適理性の法的根拠を読み込み、ここに自己準拠的に原処分の法的適理性を求め、かつ判決にすくいあげたということです。しかしいうまでもなく、そのような制定状況それ自体のうちに、租税処分されている共通公課の法的適理性の根拠を求めることはできません。租税処分されている共通公課が処分者ごとに変動することは、この処分の満たすべき公平原則に背くからです。
保険料公課策定の専管的諸規定と原処分の租税規範性は分別的に概念把握しなければならないのに、単なる専管的規定の制定状況を拠り所にして現行の片務的な処分に適理性を付与し、もって法源を共有する二つの公課料率の比較審理を回避するということは、裁判官が保険者の公課租税処分よりもこの規定の行政統治権的問題にすぎない専管的制定状況を、法の規範拘束として上位階層に位置づけることですから、論理転倒しており、端的に法的思考として錯誤です。
のみならず、その思惟は被処分者の権利保護という視点から行政権力の執行状況をチェックするという、最重要の司法観点を欠損しています。専決的、専管的制定状況を優先考慮する思惟が法的合理性を確保しうるのは、ふたつの公課規定が法源を共有することなく立法的にも制度的にも、実体公課として完全に範疇分離している場合に限られます。もちろんそのような条件が本訴訟事件に該当しないことは明らかであり、事実判決もこれを主張していません。

以上のことは原処分の租税性を考慮すれば明らかですが、たとえこれが租税的公課ではないとしてもいえることです。一体なにを根拠として裁判官は、単なる行政の専管権規定に処分の実体的適理性の法的根拠を見出しているのでしょうか。このような行政処分をめぐる処分庁専管権規定の法規範的読み取り、あるいは読み替えは法の理路を逸脱した解釈であり、その結果として、行政裁量の程度にさえ関係なく、およそ行政処分に対する一切の判断停止、思考停止を宣言するものです。そのような行政権解釈は行政府に際限のない全的な権力を委ねるものです。行政の専制と司法の従属を容認することです。

最後に訴訟趣旨展開の“戦術的”な視点から、これと判決との関係について述べます。
訴状を書くにあたって、原告のような一被保険者、一市民が、行政処分のどこまでが法に帰せられ、どこからが行政裁量に帰すべきかを認識確定することは容易ではありませんでした。原処分の違憲性の理由根拠はそれとして、その原因をどのように法あるいは処分者の裁量に帰すべきかの見定めは、法解釈によって多様に振幅します。他方、行政処分が必ず法に基づいて執行される以上、行政府が処分に立法根拠的な適理性を主張しうることも当然です。蛇足ながら 保険者公課の規定性の簡潔性、裁量性の大きさに比べると、国保保険料の細目的な規定性は間然とする所なく、租税法律主義を満たして見事ではあります。
原処分の由来根拠としての裁量性の計測問題と、原処分それ自体の違憲性の問題は議論として区別すべきですが、原告の選択判断として、根拠法の違憲性を主張することなく保険者の裁量性、処分性に違憲性の出自を求めたために、違憲性の主張根拠の原因確定は、下位法の料率規定とその拘束力をどう解釈するかという問題との関連で、行政専門的な議論領域に進入した感があります。とはいえ保険者と被保険者の間に何倍もの応能負担の格差が現実に生じているとすれば、租税原則条件を満たしかつ、租税法に基づく原処分はその裁量性の評定に関係なく、明らかに平等原則に反したものといえるでしょう。
なにがいいたいのかというと、三権分立という憲法理念的観点からこの行政裁判をみれば、原告は平等原則という基本権をもとめて提訴したのですから、裁判所は司法府の一般的責務として、この訴訟趣旨に正面から向き合い、答えるような審理を行うべきであったということです。すなわち、法の適用によって行政公権力が法に従って行使されることを確保し、もって被処分者の権利を保障するという、立法府から明確に理念区分された司法府の基本的法執行作用が審理要諦として堅持されるべきだったと思うのです。最も重要なことはその行政処分が、行政行為としての処分全体において、その統合的な法適理性において被処分者の基本的権利を侵害していないかどうかという法認識であり、その法裁定そのものは決して困難な認識作業ではありません。本件裁判の場合、国保法、共済法などの関連法令の対照、照合、及び保険者と被保険者の公課の実体比較など、いずれも可視的な法制度の検証をもって到達できることであり、高度な行政専門知識は必要ないことです。機会をみて別に論じますが、裁判員制度の対象としても適切な審理主題といえます。
またいうまでもなく裁判所は保険者になりかわって、具体的にこれをどのように制度実現すべきかを、指示する必要もありません。それは行政府あるいは立法府の仕事であって、司法府は原処分の憲法適理性の存否に焦点を集中、限定して、審理すべきなのです。

それゆえ原処分の憲法適合性の審理を処分そのものに即して制度実体的に行うことなく、処分の行政専決権の観点から行政統治論的に原処分を判じた原判決は、国民の権利保障という最も重要な司法責務を放棄したといわざるをえません。原判決にみる裁判所の、授権法規範にたいする行政権の優越的解釈は、したがって二重の意味で憲法に背くものです。ひとつは租税規範原則をめぐる恣意的な行政権力解釈の容認であり、ふたつめはそうすることで、国民の基本権の保障という司法府の存立理念と存在理由を自ら棄損した、という意味においてです。
以上の理由により原告としても一国民としてもこの判決を受け入れることはできないのです。
   

                          
     

2011年5月12日  西秀樹
                                                                 mail



この一冊 1

お口直しに絵本コーナーをつくりました。

“一人でもお使いにいける”、とお母さんを説得して少女は家を後にします。
と、お買いものが終わった帰り道、おもいがけないことが少女に起こります。 
みずみずしい絵と余韻ある読後感がこころに残ります。
タイトル“Down the Road”  Alice Schertle 作  E.B.Lewis 絵 1995年刊                                             


紹介する絵本の写真

                                                        



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